婦人(おんな)は困(こう)じ果てたらしい
婦人(おんな)は困(こう)じ果てたらしい、傍(かたわら)のものの気の毒さ。
(嬢様、何か存じませんが、おっしゃる通りになすったがよいではござりませんか。私(わたくし)にお気遣(きづかい)はかえって心苦しゅうござります。)と慇懃(いんぎん)にいうた。
婦人(おんな)はまたもう一度、
(厭かい、これでは悪いのかい。)
白痴(ばか)が泣出しそうにすると、さも怨(うら)めしげに流眄(ながしめ)に見ながら、こわれごわれになった戸棚(とだな)の中から、鉢(はち)に入ったのを取り出して手早く白痴(ばか)の膳につけた。
(はい。)と故(わざ)とらしく、すねたようにいって笑顔造(えがおづくり)。
はてさて迷惑(めいわく)な、こりゃ目の前で黄色蛇(あおだいしょう)の旨煮(うまに)か、腹籠(はらごもり)の猿の蒸焼(むしやき)か、災難が軽うても、赤蛙(あかがえる)の干物(ひもの)を大口にしゃぶるであろうと、そっと見ていると、片手に椀(わん)を持ちながら掴出(つかみだ)したのは老沢庵(ひねたくあん)。
それもさ、刻んだのではないで、一本三ツ切にしたろうという握太(にぎりぶと)なのを横銜(よこぐわ)えにしてやらかすのじゃ。
婦人(おんな)はよくよくあしらいかねたか、盗(ぬす)むように私(わし)を見てさっと顔を赭(あか)らめて初心らしい、そんな質(たち)ではあるまいに、羞(はず)かしげに膝(ひざ)なる手拭(てぬぐい)の端(はし)を口にあてた。
なるほどこの少年はこれであろう、身体(からだ)は沢庵色にふとっている。やがてわけもなく餌食(えじき)を平(たい)らげて湯ともいわず、ふッふッと大儀(たいぎ)そうに呼吸(いき)を向うへ吐(つ)くわさ。
(何でございますか、私は胸に支(つか)えましたようで、ちっとも欲しくございませんから、また後(のち)ほどに頂きましょう、)
と婦人(おんな)自分は箸も取らずに二ツの膳を片づけてな。」
